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【サッカー検定試験対策】エピソード vol.2

[2010/02/27/Sat]

公式テキスト<エピソード>の第2章~第6章で紹介される人を
フルネームで覚えようということで、昨日に引き続き書いていこうと思います。

今日は、監督編なので、監督名と、その人にまつわるキーワードを書いていきます
詳細エピソードについては、公式テキストを見るか、Wikiってみてください


第4章 世界の名監督 編です。

リヌス・ミケルス(オランダ)
 → トータル・フットボール、モダンフットボールのルーツ、FCバルセロナ、
   1971年アヤックスでUEFAチャンピオンズカップ 優勝
   1974年オランダ代表でワールドカップ 西ドイツ大会 準優勝、時計仕掛けのオレンジ、
   1988年オランダ代表でUEFAヨーロッパ選手権 優勝、
   1992年オランダ代表でUEFAヨーロッパ選手権 ベスト4

テレ・サンターナ(ブラジル)
 → joga Bonito(美しいゲーム)、クワトロ・オーメンズ・デ・オーロ(黄金の4人)、
   1982年ブラジル代表でワールドカップ スペイン大会 2次リーグ敗退、
    イタリアに敗れるも魅力的なサッカーを披露、
   1986年ブラジル代表でワールドカップ メキシコ大会 ベスト8
   1992年と1993年サンパウロでコパ・リベルタドーレスとトヨタカップを連覇、
   2006年死去

サー・ボビー・ロブソン(イングランド)
 → 厚い人望、個性の強い選手のコントロール、ナイトの称号「サー」を授与される、
   1981年イプスウィッチ・タウンFCでUEFAカップ優勝、
   イングランド代表で1982年~1990年まで95試合を指揮、
   1990年ワールドカップ イタリア大会でベスト4、
   1997年バルセロナでUEFAカップ・ウィナーズ・カップ優勝、
   2006年と2007年はアイルランド代表顧問

サー・アレックス・ファーガソン(スコットランド)
 → 規律、若手の発掘・育成、ナイトの称号「サー」を授与される、
   1978年~86年までアバディーン監督、
   1986年ワールドカップ メキシコ大会のスコットランド代表監督、
   1986年~ マンチェスター・ユナイテッド監督、
   マンチェスター・ユナイテッドでリーグ優勝10回、FAカップ優勝5回、
   UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、トヨタカップ優勝1回、
   FIFAクラブワールドカップ優勝1回、1999年にはトレブル(3冠)達成、
   カンプ・ノウの奇跡

アリゴ・サッキ(イタリア)
 → 近代サッカーの父、ゾーンプレス、サッカー選手としてのキャリア無し、
   1989年と1990年にACミランでUEFAチャンピオンズカップ連覇、
   1994年イタリア代表でワールドカップ アメリカ大会 準優勝、

フース・ヒディング(オランダ)
 → リーダーシップ、サプライズ、勝負師、
   1987~88年シーズンにPSVアイントホーフェンでUEFAチャンピオンズリーグ優勝、
   1998年オランダ代表でワールドカップ フランス大会 ベスト4、
   1999年レアル・マドリードでトヨタカップ優勝、
   2002年韓国代表でワールドカップ 日韓大会 ベスト4、
   2006年オーストラリア代表でワールドカップ ドイツ大会 ベスト16、
   2008年ロシア代表でUEFA欧州選手権 ベスト4

ヨハン・クライフ(オランダ)
 → 美しく勝利する、エル・ドリーム・チーム、
   アヤックス・システム、アヤックス・ユース・アカデミー、
   1987年アヤックスでUEFAカップ・ウィナーズ・カップ優勝、
   1988~89年シーズンはバルセロナでUEFAカップ・ウィナーズ・カップ優勝、
   同年にUEFAチャンピオンズカップ優勝
   ※選手時代のことは前回参照

マルチェロ・リッピ(イタリア)
 → 堅実なチーム作り、クラブとナショナルチームで世界一に輝いた唯一の監督、
   1995~96年シーズンはユベントスでUEFAチャンピオンズリーグ優勝、
   1996~97年シーズンはユベントスでトヨタカップ優勝、
   2006年イタリア代表でワールドカップ ドイツ大会 優勝、
   イタリア以外の国では監督経験無し

ホセ・ペケルマン(アルゼンチン)
 → 激しく攻撃的なサッカー、若年層の発掘・育成、
   1995年アルゼンチンU-20代表でFIFA U-20ワールドカップ優勝、
   1997年アルゼンチンU-20代表でFIFA U-20ワールドカップ優勝、
   2001年アルゼンチンU-20代表でFIFA U-20ワールドカップ優勝、
   2006年アルゼンチン代表でワールドカップ ドイツ大会 ベスト8

ジョゼ・モウリーニョ(ポルトガル)
 → スペシャル・ワン、歯に衣着せぬ言動と傲慢な態度、人身掌握術、マネジメント能力、
   2002~03年シーズンにFCポルトでUEFAカップ優勝、
   2003~04年シーズンにFCポルトでUEFAチャンピオンズリーグ優勝、
   2004~05年シーズンにチェルシーで50年ぶりのプレミアリーグ優勝、
   最初はサー・ボビー・ロブソンの通訳


第5章 日本代表監督 編。

竹腰重丸
 → 1936年ベルリンオリンピックではコーチ、ベルリンの奇跡
   1951~56年と1958~59年に代表監督就任、1951年に戦後初めての国際試合、
   1953年に全日本学生選抜でベルリンオリンピック以来のヨーロッパ遠征、
   1956年メルボルンオリンピック予選で韓国にくじ引きの末勝利して本大会出場権獲得、
   1967年に藍綬褒章を受章、1976年に勲三等瑞宝章を受章、
   1980年に死去、2005年に日本サッカー殿堂入り

長沼健
 → 1962年~69年と1972年~76年に代表監督就任、
   日本サッカーリーグの創設に尽力、
   1964年東京オリンピック ベスト4、ジャイアント・キリング(大番狂わせ)
   1968年メキシコオリンピック 銅メダル、
   代表監督辞任後はJリーグ創設準備や外国人指導者の日本代表監督招へいに尽力、
   日本サッカー協会会長就任、2002年ワールドカップ日韓大会の実現、
   2005年に日本サッカー殿堂入り、2008年に逝去

岡野俊一郎
 → 三菱ダイヤモンドサッカーの解説、
   1960年から日本代表コーチに就任、デッドマール・クラマーの通訳兼アシスタント、
   1964年東京オリンピック ベスト4、
   1968年メキシコオリンピック 銅メダル、選手としても登録してメダルを受け取る、
   1970~71年に代表監督就任、
   日本サッカー協会・JOC・国際オリンピック委員会の理事や委員を務める、
   ワールドカップ組織委員や日本サッカー協会会長を歴任、
   2005年に日本サッカー殿堂入り

横山健三
 → 若手の積極登用、ヨーロッパ型システム、
   1987~91年に代表監督就任、
   1989年ワールドカップ イタリア大会 アジア予選 1次リーグ敗退、
   1991年キリンカップ 初優勝、
   浦和レッズの監督やゼネラル・マネージャーや取締役も務める、
   2006年に日本サッカー殿堂入り、
   現在は財団法人埼玉県サッカー協会専務理事

ハンス・オフト
 → アイコンタクト、スリーライン、トライアングル、コンパクト、スモール・フィールド、
   1992~93年に代表監督就任、
   1992年ダイナスティカップとアジアカップに優勝、
   1993年ワールドカップ アメリカ大会 アジア最終予選敗退、ドーハの悲劇

加茂周
 → ゾーンプレス、初の日本人監督プロ契約、日産の黄金時代、不運の代表監督、
   1994~97年に代表監督就任、
   1995年ダイナスティカップ優勝、
   1997年ワールドカップ フランス大会 アジア最終予選途中で解任

岡田武史
 → 日本人唯一のワールドカップで指揮した監督、
   1994年に代表コーチ就任、
   1997年ワールドカップ フランス大会 アジア最終予選途中で代表監督に就任、
   同予選を突破しワールドカップ初出場、ジョホールバルの歓喜、
   三浦和良メンバー外し、1勝1敗1分け、
   1997年ワールドカップ フランス大会 グループリーグ敗退、3戦全敗1得点、
   2003年と2004年に横浜F・マリノスでJリーグ2年連続年間チャンピオン、
   2007年イビチャ・オシムの緊急入院を受け代表監督に就任
   2009年ワールドカップ 南アフリカ大会 アジア最終予選突破、

フィリップ・トルシエ
 → 白い呪術師、フラットスリー、
   1997年ナイジェリア監督としてワールドカップ フランス大会 アフリカ予選突破、
   1998年ブルキナファソ監督としてアフリカ・ネイションズ・カップ ベスト4、
   1998~2002年に日本代表監督就任、同時にU-20・オリンピック監督兼任、
   1999年ワールドユース ナイジェリア大会 準優勝、FIFA主催の国際大会で初の決勝進出、
   2000年シドニーオリンピック ベスト8、アジアカップ レバノン大会優勝、
   2001年コンフェデレーションズカップ 優勝、中村俊輔メンバー外し、
   2002年ワールドカップ 日韓大会 ベスト16、ワールドカップ初勝利、
   現在はFC琉球総監督

ジーコ
 → 選手の自主性を尊重、国内組と海外組、黄金の中盤、
   2002~06年に代表監督就任、
   2004年アジアカップ 中国大会 優勝、
   2005年ワールドカップ ドイツ大会 アジア最終予選突破、
   2006年ワールドカップ ドイツ大会 グループリーグ敗退、3戦1分け2敗2得点、
   2008年フェネルバフチェでUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント進出
   ※選手時代のことは前回参照

イビチャ・オシム
 → オシム語録、日本人らしいサッカー、優れた指導力とコンセプトが明確なチーム作り、
   1990年ユーゴスラビア監督として1989年ワールドカップ イタリア大会 ベスト8、
   SKシュトゥルムツ・グラーツ監督としてUEFAチャンピオンズリーグに3度出場、
   2005年にジェフユナイテッド市原監督としてヤマザキナビスコカップ初優勝、
   2006~07年に代表監督就任、
   2007年アジアカップ 4位、同年に脳梗塞で退任


監督編はここまでです。

選手編同様、公式テキストの人選に多少??な部分もありますが、
まぁ教科書なんてこんなもんでしょう

しかし、ファーガソンが1つのクラブで監督する長さは凄いですね
しかもずっと結果を出し続けてるのが素晴らしい

日本代表監督だと、トルシエ時代の実績がズバ抜けてる感があります。
あの頃の日本サッカー界は、希望に満ち溢れてましたねぇ

この後、第6章の外国人プレーヤーや、日系ブラジル人プレイヤーについても書きたかったのですが、
さすがにそろそろ寝ないとコンディションがなので、また別の機会ということで


それでは、おやすみなさい~


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2010/02/28(Sun) 01:36 | OFF THE BALL CAPRICCIOSO

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